第三番亀光山 金泉寺 釈迦院

 極楽寺を出ること3.4km、板野町に金泉寺はあります。聖武天皇の勅願により行基が開基したお寺で当時は金光明寺と呼ばれていました。朱塗りの仁王門をくぐると右手に美しい八角の観音堂、正面奥に本堂、その手前右に大師堂があります。本尊は釈迦如来(坐像)。

 観音堂と大師堂の間に黄金の井戸と呼ばれる井戸があります。この井戸の由来は、四国を廻っていた弘法大師が丁度その頃、日照り続きで作物が枯れ始め、困っていた住民たちのために井戸を掘ったところ、霊水がわき出たと言うことです。大師はこの井戸を黄金の井戸と名付け、この井戸にちなみ寺の名も金泉寺と改めたと言います。

 庭園の池に「弁慶の力石」があり、源平の戦いの折、この地に立ち寄った弁慶が力試しに持ち上げたという言い伝えがあります。
 本堂の裏に長慶天皇陵と呼ばれるお墓があります。長慶天皇が当寺にご滞在中、病に倒れて応永5年おなくなりになられたのですが、明治26年お墓の下から石碑が発掘され、天皇の御陵とわかりました。

 近隣の田畑からは天平、藤原時代の古瓦がたくさん発掘されており、当時のこのお寺の規模は壮大なものであっただろうと想像されています。

 天正10年長曽我部元親によって大半の建物を焼失しました。現在の建物はその後に建立されたものです。